神奈川県から世界へ!試練を乗り越え<大ヒット商品>を生み出した中小企業の挑戦
2024.10.21
神奈川県から世界へ!試練を乗り越え<大ヒット商品>を生み出した中小企業の挑戦
「カナコレ」編集部は、少人数ながらも積極的な商品開発を行い、世界進出に挑む中小企業「株式会社ナチュレhttps://nature-kanagawa.com/」と「株式会社横浜食品サービスhttps://www.yokosyoku.co.jp/」を取材。神奈川県、そして商品に込めた熱い思いを聞いた。
●神奈川県のフルーツを世界へと広げていきたい
神奈川県のみかんの収穫量は全国で11位。中でも小田原のみかんは、神奈川県内で一番の収穫量を誇る。人気は神奈川県が12年の歳月をかけて開発した「湘南ゴールド」。甘くて適度な酸味があり、香りも豊かで、さまざまな食品とコラボしている。
この「湘南ゴールド」を使い、フルーツグミを販売しているのが「ナチュレ」の大曽根一成さんだ。大曽根さんが代表を務める「ナチュレ」(2013年設立)は、フルーツ加工品の販売を行う会社で、国産・神奈川県産のフルーツを使用したゼリーやグミを販売。売り上げは徐々に伸び、現在「湘南ゴールド」のグミだけで、月に約1万個は売れるという。
「最初は湘南ゴールドでゼリーを作りましたが、これがかなり売れまして。皆さんに“本当においしい”と言っていただいたんですよね。でもゼリーは、どうしても夏に売れる傾向があり、冬はあまり売れないんですよ。我々のような中小企業が従業員を食べさせるためには、年間通して売れるものを作り続けないとならない。
今から4年前、世の中はコロナ禍でしたが、すでにグミはブームになりつつあったので、最初は“ゼリーを固めればグミになるんじゃない!?”という安易な発想からスタートしました。当時は国産フルーツの果汁を使ったグミはあまりなかったので、神奈川県のフルーツで作ろうと思ったのが始まりです」
しかし、グミの開発はそう簡単ではなかった。どうやって作っていいかも分からない…まさに試練の連続だった。
「YouTubeを見て、作り方はなんとなく分かったんですけど、うちのような会社が大手メーカーさんが使うような機械を入れられるわけがない。今もそうですが、手作業で作るしかなかったんですよね。
作ったことがない物を作る、しかも作り方も分からない、試作試作の連続で、それはもう大変な毎日でした。
力を貸してくれたのは私の叔父。私の実家は漬物業を営んでいますが、漬物業も時代の流れに伴い、売れる食品が少なくなっています。そこで、叔父が作る漬物のノウハウを生かし、ゼラチンの配合など、グミに転用させて徐々に形にしていきました。みんなで力を合わせて一つ一つ丁寧に、大変な思いをしながら作っていった感じです」
苦労の末、やっと形になったグミ。だが展示会で試食してもらうと、「弾力がない」と厳しい声が上がる。その声の一つ一つが、大曽根さんの中で大きなヒントになっていった。
「最初は『もうちょっと硬くした方がいいんじゃないの?』という声を多くいただき、弾力に関しては本当に苦労しました。叔父と一丸となって、柔らかすぎるグミの改良を何度も何度も行いました。私の中のこだわりは“グミでも神奈川のフルーツ果汁を目一杯味わってもらいたい”。そのために果汁を多く使っているので、他社では味わえないグミになっていると思います」
そんな大曽根さんの熱い思いや努力を支えたのは、地元「小田原市橘商工会」の応援だった。
「展示会やグミを作る講師の方につなげてもらったり、皆さん一緒にグミについて調べてくれたりして、町を挙げて応援してくれました。その代わり、私ができることとして、お祭りのお手伝いをすることも。まさに助け合いの精神です」
そんな大曽根さんにとって、商品開発とは何なのか。
「自己満足ではなく、売れる商品を作ることです。我々のような中小企業がゼロから作った新商品は、最初はなかなか売れない。それでも、世の中のニーズに合わせて商品を開発する。そして当たり前だけど、お客様の心を捉えるおいしい商品を作ることが大切です。
今後も神奈川県のフルーツを世界へと広げていきたいですし、みんながおいしいと言ってくれる商品を販売していきたい。
宝くじも買わなければ当たりませんよね。それと同じで、私なんかができるはずがないと思ったら負けなんです。売れる物を作る、そして皆さんにおいしいと言っていただける商品を作る。それだけです」最後に「ナチュレ」としての今後の展望を聞いた。
「今は『小田原みかん』『抹茶』『伊勢原産のぶどう』など、7種類のグミを販売していますが、神奈川県産はもちろん、他の県のものも増やしていきたいと思っています。
海外はもちろん、皆さんに買っていただける場所を広げて、もっと神奈川県のフルーツを楽しんでもらいたいです」
地産地消を生かし、海外にも広めていく。10 月下旬には、シンガポールなど海外の展示会にも参加する予定だ。
●神奈川県で生まれた“昔ながらの味”を残したい
横浜南部市場(横浜市金沢区)。神奈川県の食はもちろん、全国から届く青果や水産物、日用雑貨などが揃い、5店の食堂が軒を連ねる総合市場だ。
この市場に「横濱屋本舗食堂」を出店しているのが、「株式会社横浜食品サービス」。水産を中心に、畜産、加工食品など幅広く展開している。
同社が開発し、一時売り切れ状態となり、横浜の伝説と化しているのが「清水屋ケチャップ」だ。
1866年頃、子安村(現・神奈川区子安)の堤春吉が始めたと言われる西洋野菜の栽培。
やがて子安村の西洋野菜畑は鶴見方面に伝わり、栽培農家の一人、清水與助(よすけ)はトマトの加工事業に乗り出し、1896年にトマトケチャップの製造会社「清水屋」を創業した。與助は傷ついたトマトを原料に使用し、南洋の香辛料を追い求め、ケチャップの味や作り方の研究に勤しんだという。こうして出来上がったのが「清水屋ケチャップ」だ。
あれから150余年の時が経ち、当時の「清水屋ケチャップ」を復刻させたのが、長野県でトマトソースを作っていた丸山和俊さん(「&CRAFT エムズプランニング」代表取締役、「横浜食品サービス」統括顧問)だった。
清水與助のレシピを再現させ、日本初のケチャップを復刻させた丸山さん。ラベルも再現し、昔のスペルをそのまま使っている。
「『清水屋ケチャップ』は、現時点で日本初と言われています。ケチャップが海外から日本に伝わる時、口頭で伝えられたため、“ケチャップ”の発音が“キャッツアップ”と聞こえたんですね。それをそのままラベルにしたのです」
大手コーヒーチェーンで味覚鑑定士をしていた丸山さんは、トマトソースの開発を任され、やがてトマトそのものの歴史と奥深さに魅了される。独立後は、長野県で有機トマトを作ることから始め、これまでトマトソースを扱うお店を 700 軒以上を巡り、研究を重ねてきた。
「ある時、研究者の方に“これからは外食産業が健康産業にならなければいけない”と忠告されてハッとしました。“トマトが赤くなると医者が青くなる”ということわざをご存じでしょうか。これは、真っ赤に熟したトマトには強い抗酸化作用を持つリコピンがたくさん入っていて、食べると健康になるためお医者さんが青くなるという意味。
それではトマトはどこから来たのか? まずはトマトの歴史を調べてみようと思って私がたどり着いたのが、明治29年に横浜で誕生していた『清水屋ケチャップ』でした。清水與助という人物のチャレンジ精神、バイタリティに感銘を受けましたし、私が調べていた当時は、誰もケチャップが横浜で生まれた事を知らなかったんですよ。これはいけない、この味を後世に伝えたいと思いました」
どうやって復刻させたのか…それは與助に負けない丸山さんのバイタリティと行動力の賜だった。
「当時の資料から清水與助の孫にあたる故・金子とよ子さんを見つけ出し、会いに行きました。金子さんは幼い頃に與助を手伝った記憶を持つ、生き証人となる方。そこで“ケチャップを復刻しませんか”と持ちかけたのです。金子さんの証言と、横浜市や資料館の研究員の方の協力のもと、ケチャップの復刻作業が始まりました」
しかし、当時の製法を見てケチャップを作ろうとするものの、大まかなレシピしか書かれていない…。そんな中、丸山さんは、金子さんから「ズクという食材が重要だ」とアドバイスを受ける。
「金子さんは小さい頃、かごいっぱいの調味料“ズク”を運んだ思い出があると言うのです。しかし、金子さんもズクが何なのか分からない。あるのは“大きくて生姜みたいにごつごつしたもので、海外から横浜港に運ばれて来ていた。それをすりおろして、ケチャップにたっぷり入れていた”という情報だけでした」
当時はインターネットが普及して間もない時代…丸山さんはズクを探す旅に出る。何度も台湾の市場へ足を運び、ようやく「肉豆蔲(ニクズク)」へとたどり着いた。
「ニクズクとはナツメグのことだったのです。“ズク=ナツメグ”だと分かり、やっと『清水屋ケチャップ』の復刻が実現しました。大手メーカーのケチャップにもナツメグは使われていますが、『清水屋ケチャップ』はよりナツメグの香りを生かす工夫をしているため、とても香りが良い。味も濃いので、ぜひ一度皆さんにご賞味いただきたいです」
丸山さんはこの味を広めるため、2011 年に地元食品メーカー「横浜食品サービス」と協力して製造・販売をスタートさせた。味はもちろん折り紙付きだが、有機トマトと有機香辛料を使った「清水屋ケチャップ」は大ヒット商品になった。
丸山さんおすすめの食べ方は、定番の「ナポリタン」、そして目下開発中の「サバの味噌煮」だ。
「清水屋ケチャップ」はベトナムへの進出も見据え、これを使った「サバの味噌煮」は、早ければ今年中には売り出す予定。丸山さんは、「ケチャップで日本の食文化を変えていきたい」と熱く語る。
「日本は塩分大国。日本人の食塩摂取量は他の国と比べて多く、成人病も多いのです。ケチャップには酸味があり、酸味が塩味を引き立たせる。酸味があれば、わずかな塩分でもおいしく感じることができる。まずはこのケチャップをスプーン一杯、和食に取り入れてみてください。そうすると、旨味と出汁との相乗効果が生まれるはずです」
“日本人の味覚の改革=健康被害から守る”、これが丸山さんの大きなテーマでもある。
「私は“医食同源”という言葉を大切にしています。食べ物はかなり健康に影響がある。1999年に“21世紀の飲食業は食の病院になる”というスローガンを打ち出しまして、レストランだけではなく、食品産業全体が病院になるべきだと二十数年ずっと伝え続けてきました。外食でみんなが健康になればいいなと。
世界各国、有機はもう当たり前のことで、日本はかなりの有機後進国。桁違い有機のニーズがない国なんです。私は日本で作った有機を、世界へ持っていこうと考えています」
これだけの行動を起こし、念願の「清水屋ケチャップ」を復刻させた丸山さん。丸山さんにとって、商品開発とは何なのか。
「失敗を恐れないチャレンジ精神。趣味ですよね、もうライフワークなんですよ。さまざまな商品開発をやってきましたが、原点を見るのは私の趣味。原点を見ると、これとこれとこれを組み合わせたら面白いんじゃないかなど、いろいろなアイデアが湧き上がってくる」
最後に、中小企業で新規事業を考えている皆さんにメッセージをもらった。
「私は商品開発の人間なので経営とは違うと思いますが、商品開発なき事業はありえないということです。チャレンジしなかったら事業はない。そのチャレンジとは、商品開発なんですよ。商品開発をしないと事業は成立しないし、成長もしない。
人間は飽きる生き物、イコール成長です。これよりももっとよく、昨日よりも今日、今日よりも明日とどんどん成長していく。ニーズに合った商品を開発していかなかったら取り残されてしまうわけです。成長するためには商品開発、商品開発なき成長はありえないと思っています」